弁護士法人 Si-Law

西田ブログ

経営哲学

本田宗一郎は、こう語りました。

「私の哲学は、技術そのものより思想が大切だというところにある。思想が具現化するための手段として技術があり、また良き技術の無いところからは、よき思想も生まれえない。人間の幸福を技術によって具現化するという技術者の使命が私の哲学であり、誇りである。」

「しっかりした思想と哲学を持たない企業はこれから先も潰れていくだろう。」

 

本田宗一郎が語るところの経営哲学とは何でしょうか?

一般的には、企業が経営される場合において経営者自らが示している、それをどのような目的でどのような形式で行っていくかという独自の概念である、などと定義付けされます。

哲学とは、さまざまな物事の本質をとらえる営みだと考えています。

とすれば、経営哲学とは、経営者が「経営の目的は何か?」と深く洞察することであり、経営するうえで経営者が示すべき経営の本質であろうと思うのです。

 

多くの社員の価値観、判断基準、優先順位がトップと一体系のなかにある企業は強い

経営者の経営哲学と社員の人生観が一体系のなかにある企業は強い

社員と価値観を共有できている企業は強い

 

経営理念は、置き物でも飾り物でもなく実践するためにあり、日々の経営は理念を実現するプロセスでなければならないと思います。

そのためには、経営理念は、社員1人ひとりが

①トップの信念、②評価の基準、③社員の生き方の座標軸

 

を体感できる内容であるべきなのでしょう。

 

よりよく人生を生きる。成長する。

より社会に貢献する。

「こんな生き方をしよう。」経営理念は、そう語りかけられるものでありたいと思っています。

 

本田宗一郎は、こう語りました。

「哲学のない人は、経営は無理に決まっている。機械には、燃料と潤滑油を与えれば動くが、哲学のない経営者のもとでは人が良く動かないからである。」

 

理念経営 その弐

「志を立てて以て万事の源と為す」

志を立てることから、すべては始まる。

松蔭は、どんなに才能があろうと、知恵に秀でていようと、そんなものは全く当てにならないのであって、とくかく志さえ立てたなら、人はどんな遠くへも行け、どんな困難なことも成し遂げられるのだと堅く信じて、人々に語り続けました。

この後に続いて松蔭はこのように述べています。

「志を立てることから、すべては始まる。そして交際する人を選ぶ。それが仁義を行う助けとなる。さらに書を読んで、古の偉人から教訓を学ぶ。この3つが実践できるなら、立派な成人になれる。」

 

このような松蔭の教えが受け継がれ、松蔭が亡くなった後も明治維新は遂行されました。

松蔭は志半ばで処刑されたとも言えますが、門徒生によって松蔭の志は達成されたとも言えます。

社員全員が一丸となって同じ頂を目指すには、松蔭のように自分の信じるところを語り続ける必要があるのではないでしょうか。

その信じるところが理念なのだろうと思うのです。

 

理念経営

よく理念経営をすることが大切だと言われます。

理念は何故必要なのでしょうか?

考え抜かれた戦略と戦術があれば業績は伸びるのではないでしょうか?

吉田松陰の生き様から理念とは何かを考えてみたいと思います。

 

松陰が松下村塾で教えたのはわずか13か月であり、自宅幽閉室での時期を含めても2年9か月しかありませんでした。

しかし、松下村塾の門徒生約90名の中から、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋など、明治維新の中心人物となった若者を輩出しました。

門徒生の中で高杉晋作のように優秀と言われる人はみんな幕末の戦いで死んでいきました。

しかし、伊藤博文など優秀とは言われていなかった門徒は残り、松陰の教えは受け継がれ、明治維新は遂行されました。

門徒生が次々と亡くなる中で、何故、長きにわたって多くの人たちが松陰の教えを継承しようとしたのか。ここが重要だと思うのです。

 

「学とは人たる所以を学ぶべし」

何故人に生まれて何故人として生を受けたのか、人として生きるとはどういうことなのか学ぶ必要がある。

 

松蔭が教える「人たる所以」とは何なのでしょうか。

松蔭はこう教えました。

「凡そ生まれて人たらば宜しく人の禽獣に異なる所以を知るべし」

人間に生まれたのだから、獣との違いを知らなければならない。

 

では、人と禽獣との違いは何なのでしょうか

人と禽獣との違いは、志を立てることができる点が違うと教えています。

「志を立てて以て万事の源と為す」

志を立てることから、すべては始まるのです。

 

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