経営
2020/09/16 10:28|カテゴリー:経営
力のある言葉と力のない言葉があります。
人に何かを伝え、人を動かす力がある言葉と、力のない言葉があります。
同じ内容を言っているのに、言葉が相手に伝わる人と伝わらない人がいます。
綺麗な言葉で流暢に話をする人もいれば、舌足らずで間の取り方も決して上手とはいえない話し方の人もいます。
しかし、綺麗でなくとも流暢でなくとも心に届く言葉があります。
何が違うのでしょうか。
いろんな要素があるのだと思うのですが、人に何かを伝えるためには、話す人が伝えたいことに関して、100%の揺らがない確信を持っていることが必要だと思うのです。
お金も物も人もない企業家の武器は、絶対に達成して成功してみせるという志しかありません。そんな何もない頃の企業家が成功するためには、協力してほしい周りの人に想いを伝えるしかありません。
お金も物も人もない企業家の志に揺らぎがあれば、誰もついて来ることはないでしょう。
また、どれだけ熱い想いで話をしたとしても、話をする相手の求めているコト、知識、経験に合わせなければ熱意も空回りするだけ。言葉は相手の器までしか伝わりません。
伝えるためには相手のために話すという姿勢が必要でしょう。相手のことに焦点を当てず、「うまく話したい」「よく思われたい」などと、自分自身のことを考えると緊張に繋がります。相手の願望に焦点を絞って、自分の経験をもとに飾らない等身大の自分を表現することが、聴き手の心を捉えるのだと思います。
社員の育成においても言葉は重要です。人を生かす言葉もあれば、人を殺す言葉もあります。社員の失敗に対して、怒りに任せて頭ごなしに、社員の自己概念が下がってしまうような辛辣な言葉を投げてしまうことは避けなければなりません。感謝と愛がなければ社員は育たないと思うのです。
仕事でも家庭でも恋愛でも、良好な人間関係を構築する際の言葉の伝え方は、同じではないでしょうか。
人の本質は変わりません。ひょっとすると人を動かすものは言葉ではなく、「命をかけてでも伝えたいことがある」という強く熱い想いなのかもしれません。
2020/08/15 09:13|カテゴリー:経営
ベトナム戦争の最盛期、「ハノイ・ヒルトン」と呼ばれた捕虜収容所で、最高位のアメリカ軍人だったジム・ストックデール将軍は、8年間の捕虜生活で20回以上に渡って拷問を受け、捕虜の権利を認められず、いつ釈放されるか見込みがたたず、生き残って家族に再会できるかすら分からない状況を生き抜いた。
ストックデール将軍はそんな過酷な状況の中で、できる限り多数の捕虜が生き残れる状況を作り出すとともに、捕虜を宣伝に使おうとする敵の意図を挫くために全力を尽くした。
例えば、剃刀で切って顔を傷つけ「厚遇されている捕虜」としてテレビ撮影されないようにしたり、見つかれば殺される可能性も覚悟して妻との手紙で秘密情報を交換したり、モールス信号のような暗号で捕虜同士の精巧な連絡手段を作り上げ、収容所側が狙いとする孤立感を和らげた。
ストックデール将軍は、釈放されて帰国した後、「収容所に放り込まれ、結末がどうなるかも分からないなかで、どのように苦境に対処したのか」という質問に対して、こう答えた。「私は結末について確信を失うことはなかった。ここから出られるだけでなく、最後には必ず勝利を収めて、この経験を人生の決定的な出来事にし、あれほど貴重な体験はなかったと言えるようにすると。」
また、「耐えられなかったのは、どういう人ですか」という質問に対しては、こう答えた。「楽観主義者だ。クリスマスまでには出られると考える人たちだ。クリスマスが近づき、終わる。そうすると復活祭までには出られると考える。そして復活祭が近づき、終わる。次は感謝祭、そして次はまたクリスマス。そうやって失望が重なって死んでいく。これは極めて重要な教訓だ。最後には必ず勝つという確信、これを失ってはいけない。だがこの確信と、それがどんなものであれ、自分の置かれている現実のなかで最も厳しい事実を直視する規律とを混同してはいけない。」
このストックデール将軍の、一見すると逆説的な姿勢は、自分自身の人生であれ、他人を率いる点であれ、世界的に偉大な企業を築き上げた経営者全員の特徴になっているそうです。企業が置かれている状況がどれほど厳しくても、自社がどれほど凡庸であっても、生き残るだけではなく、偉大な企業になるという確信が揺らぐことがない。しかし同時に、自分が置かれている現実のなかで最も厳しい事実を直視する姿勢を崩さない。一方向だけに偏ることのない二重性を身に付け、正しい決定を次々に下していく。
偉大な企業になるという確信は志であり、志なくして真の成功はあり得ません。一方、志だけで厳しい事実を直視しなければ、企業が成長し続ける戦略構築はできません。日々の経営の中で、ストックデール将軍の姿勢から学び、考えさせられることは多いのではないでしょうか。
2020/08/04 07:56|カテゴリー:経営
商品の価値は誰が決めるのでしょうか。
同じコーラであっても,量販店で買うと150円のコーラが,一流ホテルのルームサービスで頼むと1000円かかることもあります。
この差はなぜ生じるのでしょうか。
売り手はついついモノ自体を売り込もうとします。
「うちのコピー機は他社よりも画質・スピードが上回っています!」など,機能や性能から得られる商品の表面的なメリットを強調しがちです。
商品自体の質が同質化・コモディティ化していても気付かず、モノの特徴を前面に出そうとします。
モノはマネされやすく競争が起こりやすく、コモディディ化も進み価格競争にもなりがちです。
顧客の興味はモノの特徴にあるのか
その点を考え抜くべきだと思うのです。
例えば、ハワイ旅行に行きたいと申し出た顧客がいたとします。
何泊にするか、どんなプランにするか、値段をいくらにするか,これも大切な要素でしょう。
しかし、旅行に行きたい目的は人それぞれ異なります。
普段会話出来ていない家族とコミュニケーションを図るため旅行であれば、移動が多く、ゆっくり出来ない海外旅行よりも、家族だけで入ることが出来る家族風呂付の温泉旅行に行って、手料理を食べてもらう方が良いかもしれません。
意中の女性にアピールするためであれば、そもそも旅行じゃなくてもいいかもしれません。相手によっては、綺麗な夜景が見れるレストランでディナーを一緒に楽しむ方がいいかもしれないのです。
当社のモノを買うとどんな良いコトがあるのか
顧客が心から得たい真の利点を商品という形に変えることができれば、売り込まなくてもよい経営ができるのではないのでしょうか。
どんなに遠くても,どんなに高くても、御社のサービスを支持したい
そんなファンがいるような商品ができたらどんなに素晴らしいことでしょう。
人がモノを買うのは得られる利益を感じたときであり、商品の価値は商品そのものが決めるのではなく、最終的には顧客が決めるのだと思うのです。